「女性議員飛躍の会」の勉強会では個人名も飛び出していた。
「例えば竹田恒泰さんが天皇になると考えたら
旧皇族の復帰は嫌だと言う人がいます。
竹田さんは本当に立派な方で、正直で誠実な方です。
問題提起をするために嫌われることもあります。
ただ、竹田さんの評価は横に措(お)いて考えましょう。
竹田さんが皇族に復帰しても、竹田さんは天皇になりません。
皇籍に復帰する人が何かお役に立つとしたら、50年、60年、70年
も先のことなのです。
もちろん、皇族の一員として行事に参加することはあるでしょうが、
この人たちがすぐに天皇になるなんてことはありえない。
だから、30年、40年、50年先のこととして、今から準備を
しておくということです」(櫻井よしこ氏)改めて言う迄もなく、竹田氏は父親の代から既に国民。
だから「旧皇族」ではない。
旧皇族でない以上、勿論「復帰」でもない。
しかも、竹田氏は既婚者だから皇籍取得の対象にはなり得ないはずだし、
元々ご本人がそのことを繰り返し否定しておられる
(私に向かって直接そう明言されたこともある)。しかし、そんなことよりも、目を向けるべきは、
仮に旧宮家系の国民男性(の誰か)が“新しく”皇籍を取得したとしても、
その本人は「天皇になりません」「天皇になるなんてことはありえない」
と断言されている点だ。これは、一体どんな制度設計を考えておられるのか。
皇族の身分を取得し、しかも「男子」でありながら、
皇位継承資格を認めない、という“准”皇族的な身分を特別に
設けようされているのか。
恐らくそうではあるまい。そもそも、そのような、国民と区別された皇族の身分を、
更に2つに分けるという制度自体、妥当性を欠くだろう。
ならば、不測の事態に直面し、新しく皇籍を取得した人が
突然「天皇になる」かも知れない。
その可能性は誰も否定はできないはずだ。「50年、60年、70年も先」と「30年、40年、50年先」では
随分違う気もするが(30年先なのか、70年先なのか)、
いずれにせよ、そんな将来の話だから、長年、世俗で暮らして来た
(竹田恒泰氏の“ような”)旧宮家系男性を皇室に迎え入れても
大丈夫、という言い方には何ら確かな根拠が無い。
しかも、そうした物言いは、対象となる旧宮家系男性に対し、
かなり失礼ではあるまいか。
要するに、本人の「評価は横に措いて(!)」、
(30~70年先?に備えて)将来の世代の「男系男子」を生む為に、
国民としての生活を全て捨てて、皇族の身分を取得してくれ、
という話だから。しかも、その人が必ず結婚をして、必ず「男子」を1人以上生むことを、当然の前提としている。しかし、皇族の場合、国民には無いご結婚へのハードルの高さがある。ましてや、昨日まで一般国民だった人が、「男系男子」を生む為(!)に、旧宮家から皇室に迎えられたという特殊なケースだと、そのハードルはもっと高くなるはずだ。勿論、結婚されたとしても、果たして子宝に恵まれるかどうか、
その子が男子かどうかは、予断を許さない。
もし、わざわざ新たな法的整備をして、純然たる民間人がご結婚
という人生の一大事を介することなく皇族になるという、
前代未聞のこと(前近代にいくつかあった皇籍復帰の異例は、
いわば貴族から皇族に戻る形で、庶民から皇族という例では無い)
まで行いながら、遂に結婚されないとか、男子が生まれなかった
ような場合、(ご本人が何一つ悪いことをされた訳ではないにも
拘らず)その人がどのような目で見られてしまうことになるか。この論者は少しでも考えたことがあるのだろうか。
以前、東京新聞(5月24日付)にこんな意見が載った。
「本来は旧宮家の子孫を皇族にすることは望ましくないが、
窮余の策として考慮しなければならないほど事態は逼迫
(ひっぱく)している」(所功氏)「事態は逼迫している」のは確かでも、皇室が直面しているのは、
旧宮家系男性を迎え入れれば打開できるような、
根の浅い困難さではない。
という議論はともかく、旧宮家系男性の当事者の立場になって
考えたら、「本来は…望ましくない(!)が、“窮余の策”として」
宜しく頼む、と言われて、これまでの生活を一切投げ棄てて、
又あらゆる不自由さも受け入れて、(将来の「男系男子」を生む為に)
皇族の身分を取得しよう、という気持ちになれるだろうか。旧宮家系男性に頼ろうとする議論の多くが、対象となる人々に、
少しも敬意を抱いて“いない”ように見えるのは何故だろうか。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/